奇跡
義姉の母は、たしか、95歳くらい。
ぼけがすすみ、介護もままならず、施設のお世話になっている。
もう、かれこれ、10年あまり。
ほとんど、顔をあわせても誰かも理解できず。
それでも、義姉は、そのたびにおやつを食べさせたりした。
けれども、せんべい一枚に1時間かかる。
そうなのだ。噛む能力が衰え、なおかつ、嚥下もままならない。
ついに、去年、食道から管を通す手術もした。
それに、話をしていても、視線があわない。
気がついたら、下をむいて、眠ってる始末。
それでも、多少の刺激にはなるかと、せっせと義姉は、施設をたずねる。
ある日のこと。
その日も車いすにのせられたおばあちゃんは、茫洋とした表情でいた。
たまさか、気がのった義姉は、問わず語りに昔は、ばあちゃんも苦労したねー。
あんなこんなで、泣けるようなこともたくさんあって、つらかったねーと。
独り言のように話をしだした。
とたん、今まで、ぼーっとしてた視線がこちらの目の焦点にあったかと思うと。
目から涙が・・・ぼろぼろと。。。
泣き出して。。。。
あらあら、そんなに悲しい思いがあって、ごめんね。
といいながら、なだめるも、泣きやまない。
話をした本人もひどく驚いた。
おばあちゃんの意識がその一瞬もどった。
この10年の間、名前を呼ぼうが楽しい話をしようが、孫がこようが何の反応もなかったおばあちゃん。
義姉も、あれはいったい何だったんだろうと不思議がる。
最近は、管から、栄養がゆきわたってるせいか、時折、目に力があることがあるそうだ。
管から栄養なんて、人間として、あんまりだと考えてた義姉も近頃は、人間には栄養が必要で、それが神経にも通じているのかしらん♪と、半信半疑ながらの納得のようす。
人間、ぼけても、完全ぼけとは限らないわけで、もしかして、生きているということは、限りなく奇跡が起きるということもあるのだ。
私も話を聞き、鳥肌がたった。
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