去年、リンパ腫の宣告を受けたおばがなくなった。
危篤の報を受けたのは、先週。
それから、一週間、ついに、命つきた。
母がお通夜も参加するというので、急遽、私たちも泊まり込みで行くことになった。
田舎のことゆえ、お通夜も盛大。
葬儀場であった。
200人ばかし入る会場は、満杯。
叔母の人柄が偲ばれる。
享年65歳。早すぎる。
おととし、テレビのハートなんとかというローカル番組に叔父と一緒に番組に出た。思えば、あの時の叔母の幸せに満ちた顔がこういう形で遺品になるとは考えもしなかった。
お葬式は、浄土真宗に則って行われた。
読経が行われるなか、お焼香になる。
葬儀場のかかりは、真宗のお焼香の仕方を詳しく、親戚筋に説明された。
時計と反対まわりに、ご住職の前に進み、一礼、祭壇に進み、最初に二礼、ご焼香は、頭まで、もってこないで、二度つまんでいれる。そののち、合掌礼拝。
そして、逆側に移動して、同じ時計と反対まわりで、自分の席にかえる。
そう、難しいことではないけれども、喪主である叔父から適当。
その後の親戚のおっちゃんおばちゃんたちもてんでばらばらに、いすの外側を進んでいったり。
係があわてて、誘導しにいく。
叔母の息子娘たちには、小学生、幼稚園、幼児と、ちっちゃいお子さんたちが何人もいる。
読経が進むなか、最初は、鈴の音にびくついたり、退屈がって、足をばたつかせたり、しっと、叱られてた子供たちが、ひとりふたりと、こっくりこっくり。
やがて、熟睡。
焼香の番がきて、ゆすっても、起きない。
おきなさいといっても、起きない深い眠り。
お経って、眠たくなるというけど、騒いでる元気なこどもたちがこんなになっちゃうんだから、とっても不思議。
立派なお経とは、人を眠らせてしまう・・ん・・たしかに、なくなった人が安らかに眠っていただけるならと、理にかなってる。。
うちの母も私の前を進んでゆくのに、とんでもない所にいこうとする。
人と反対側に進もうとするのを見えないように服の袖をつかみ、小声でこっちよ、と、誘導する。
ご焼香したあとも、帰りを、正しい方向に進ませるべく、後ろから小声でこっちあっちと誘導する。
みんな、モーゼのなんたらみたいに統率者がいないと、てんでちりぢりばらはら。
まあ、田舎ですから、そこは、みんな、人のふりみても気にしてない。
我の行動は、我だけしか、気にしないのですから。
いよいよ、ご焼香がすみ、弔辞。
弔辞は、40年来、一緒にお仕事を共にした同年代のおばさんだ。
早すぎる死を悼み、一緒に過ごされた年月を切々と話された。
みんなのすすり泣きとハンカチに目をあててる人がほとんど。
気丈なこの方は、途中で泣き崩れることなく、しまいまで、きちんと話された。
叔母と一緒にいただけあると、変に感心した。
親戚を代表してのご挨拶は、母の弟である。
東京からかけつけた兄弟一番の出世頭の叔父。
さすがに、上にたつものだっただけに、そつなく、状況を織り込みながらの挨拶。
いよいよ、お棺のふたをしめる。
中にたくさんのお花をいれる。
みんなで、一輪づつ埋めていく。
お花の免状も持っていたおばさんだけに、美しい華やかなお花に包まれて眠れる森の美女みたいな感じだ。
今だに、なくなったということがおかしいほどの表情。
さすがの、私も子供の時から、おりにふれ、親しんだおばとの会話などを思い出すと、涙があふれる。
いなくなったという事実にあらためて、涙がとまらなくなる。
人前で泣くのは嫌いだけど、出てくるものは、仕様がない。
霊柩車の見送りもしないといけないけど、会場の後始末も気になる。
なんてたって、今までは、おばがひとりで仕切ってたのだ。
裏方まわりの台所などの始末がわからないったらない。
もうひとり、おばといっしょに采配をふるってた弟のお嫁さんのおばもいるけど、今いち、たよりない。
息子さんたちのお嫁さんも40代くらいで都会育ちのせいか、気が利かないというか気づかないというか、体が動いてない。
こんなとき、おばさんがいたらなーと思うものの、肝心要の位置にいた場所には誰もかわりになれそうもない。
そういう不安ばかり、頭を横切るものの、私の立場上、お手伝いしかできないことが、ちとくやしい。
冷蔵庫の中身をだして、おちゃわんにはいったごはんを手にぶらさげたまま、霊柩車のとこに行くと、すでに、長男の挨拶が始まってた。
ごはんを手にぶらさげたまま、数珠をまさぐり、お見送り。
火葬場まで、また、ごはんをぶらさげたまま、乗り込む。
火葬場は、新しいのか、庭園もあり、立派なもの。
個室にゆき、また、お茶のしたくなどの下働きをつとめながら、やっぱり、おじさんちのお嫁ちゃんたちは、あんまり、動いてなくて、あれれ?と思う。
人は、悪くないし、子供たちもちっちゃいから、しようがないとは思うけれども、自分たちの立場がお客様ではなくて、当事者がわだという認識があるのかと疑う。やはり、亡くなったおばさんの仕切り方が抜群だったせいなのかと思う。
あらためて、おばさんの力加減に思いを馳せる。
50歳になって、修猷館高校の定時制を卒業してたのだそうだ。
このあたりでは、超難関といわれる学校である。
かなりがんばり屋さんで、ほかにも、三味線、踊りといとまがない。
お骨になったも、それがうかがわれる立派な頭蓋骨にみんなのため息がでる。
重ね重ね、惜しまれる。
帰りにおじの所にみんなで寄り、精進をいただいて、帰ることにする。
すると、近くの親戚が危篤状態だったのが亡くなったと知らせがあった。
まさか、呼ばれたのか!
そこもガンで、叔母のお葬式に参列してた親戚は、病室にかけつけたところだった。
その方は66歳。その母は、95歳。
なんでかねー。順番は大事だと、いつも、思ってるのだけど、先にこどもをなくすというのは、、、。
きょう、そこのお葬式があってると思うが。
叔父のひとこと。
きょうは、主役であしたは、参列者やねー。
人生は、メリーゴーランドや!
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