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2008年2月

老人保険制度


母から電話があって、役所からいっちょんわからん重要という手紙がきた。
これ出さんやったら、年金がもらえんごとなるとかねー?
このあいだも同じようなことを聞いたような気がするが。
とりあえず、その文書を見るべく訪ねた。

65歳以上75歳未満で老人保険制度に加入している方へ
老人保険制度は、後期高齢者医療保険に変わります。
75歳以上の方、もしくは、65歳以上75歳未満で一定の障害があると認められた方です。
さて、あなたは保険制度に加入してますが、後期高齢者医療制度に加入しないこができます。

は?
・・・?
一度読んだくらいでは、さっぱりわからん。
今ある老人保健証がなくなるということはわかった。
そして、母の場合、障害者なので、一定の障害があるに該当するのは、わかる。
それで、どちらかを選べ!って。。。
加入する場合と加入しない場合の違いが一覧表にあるが、これもずいぶんとわかりにくい、というか、なにがなにやら、いいのか、悪いのか、不利になるのかならないのか。。。さっぱりぱり。
とりあえず、現行とおりの医療を受けるためにはこちらに切り替える以外になさそうだ。
しかし、今ある健康保険の保険料にかわり、新しく導入される後期高齢者医療保険料を払わなくてはいけないらしい。。
が、この保険料、前年の所得によって、かわるとあるが、それが国民健康保険とどう違うのかは、具体的に書いていない。

そして、決定的なのは、後期高齢者医療に入らん場合は、文書を送り返せ!
って、なにやら、一方的すぎやせんか。しかも、2月22日までって!

むらむらむかむかしてくるのは、なあぜ?
ただでさえ、単語の難しいお役所文書にわけわからん制度、しかも、選べって。
どんだけ、不親切なんだか。。。。

と、つらつら考えながら。
これは、年金とは全く関係なくて。
ほら、と、健康保険証、老人保険証、障害者手帳とセットになった実物をだしてもらって、これがこうで、一応、わかりやすく説明したものの。。。。

これであってるのか、一抹の不安も残る。

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生協


中国農薬混入事件で、生協の文字が地に落ちた。
私の理解の範囲内ではかれば、エフさんは、ある時期から路線変更されて、市販と全く同じものを宅配にした形になっていたように思う。
それがいいのか、悪いのかという判断は、別にして、企業としての選択だと致し方なく思ってた。
とかく、組織がでかくなれば、端々まで目が届かなくなるのは、必至のこと。

とりあえず、私が加入してるものは、別のところである。
そことのつきあいは、25年ほどになる。
当時は、まだまだ、組織も自分たちで把握できる範囲内であった。
せまいせまい地域だけに特記したものである。
未来のこどもたちの食の安全を第一義に考え、利益を度外視し、手作り感覚の組織のありかた。それこそ、庶民の食の安全から発した団体だったのである。
生協であるという自負に絶対ここで間違いないという自信が生まれた。
というかなり危ない生協病に罹患している人も大勢いた。
いわゆる、組織が宗教じみてしまうというような意味。
世の常識が塗り替えられるほどの内部信仰主義。
内部で活動してる人は、自分たちがしていることは、立派で、人は誰でも納得するものとの過大なる自意識過剰にとらわれていたように思う。
それはそれで、そこまでばかになり、踊りまくる人も時には必要なことでもあろう。
しかし、それが爆走するとき、思わぬ落とし穴が待ち構えている。
組織は、肥大すると、組織のための組織になってしまうということだ。
M&Aではないが、合体に合体を重ね、今は、どこまでの組織になっているのか、私にはわからん。
それにともない、食ではない事業もとりいれた。
保険に人的事業、直営店、今では、金貸しもしている。

私たちが欲しいのは、あくまでも、まちがいのない食材だ。
この事件をきっかけに、食というものを初心の目で立ち戻られることを願ってやまない。少なくとも、市販の食品よりも、いくらかは、安全であると信じたいからだ。

話を昔に戻すが、25年前、生協に入った頃は、たくさんのお勉強会があった。
たとえば、いま話題の中国輸入食品についても、ビデオで、散々、日本向け輸入品は、農薬につけまくって、腐らない処理をするのが当たり前。アメリカからの果物は、農薬シャワーを浴びるのが当たり前。というものをたくさん見せられた。
あれから、25年。それなのに、はいってくるニュースは、今でも、農薬漬けの野菜や果物。ちっとも変わってない。
添加物もしかり。問題になるたびにクローズアップされるが、結局、いつまでもいたちごっこが止まない。情けない。
それにしても、ここで問題になったのは、無知の罪である。
知らなかった。大丈夫と思った。あとで知った。ニュースになって知った。
なんてのは、まさしく、知らなかったが故だろう。
知らなくて、食べてしまったというのは、実は、結果論ではあるが、ある意味、道理が通らないということにもなると思う。
というのは何かと、いうと、自分が食べているものが何かということにそもそも、関心がないからだとも。(私も耳がいたい)
世の中のブーム、スローフードなどなど、もてはやされるものには光が当たる。
が、基本的なことは、なにか、毎日食べているもの、米等々。
それらが、どういうものであるかということを知ろうとしない。
こんなことを考えるほうがおかしいと言われればそうであるが、この時代、自分の身は、自分しか守れない。誰も保証しない。誰も肩代わりしない。
食の危機が自分の口元に忍び寄っていることにこのたびの事件は、思い知らされているのかもしれない。

ただ、悲しいことに、当時の危ないものというものは、現状でも全くなくなってはいない。なぜならば、大きな会社の力が存在してるからだ。コマーシャルをみてください。その番組には、その会社の問題点をあげられない。そういう目にみえない力は、結局、どこにでも働いているのだ。ここを正せば、倒れて困る人がいる。いわば、究極の選択に食の問題は発しているともいえる。

やはり、人類は、毒を食らわば皿までなんだろう。

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冷凍庫に眠る中華人民共和国


ふと気になって、冷凍食品の袋をひっくり返すと。
中華人民共和国!
ひぇー!これがうわさの。。。
今まで、散々、お弁当に入れてたあの品この品が。
あちらさまで製造されていたとは、お釈迦様でも気がつくめえ♪
って、袋をひっくり返せば、いつでもそこに書いてあったとは。

お口に入れ消化した数知れず。
さいわい、餃子はないものの、おいしいねと言ったこの品あの品みな中華人民共和国産。
風評被害はいけないぞよ、とは、言うものの、ここまで、舌かみそうな農薬が出てきた日には、もしかして、また新たな農薬が出てこんとは限らん。
疑心は暗鬼を呼び、逆プラシーボ効果をもたらすかもしれん。

おおっ!これは、タイ産冷凍食品。
なんたることか。独り用野菜冷凍食品。おまえもか。
冷凍食品売り場は、万国博覧会。

全部悪いと限らんとは思ってはみるものの、手をつける気にならない。

冷凍食品海外百花繚乱の巻。
捨てるべきか、このままにすべきか、はたまた、覚悟して、食うべきか。

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お葬式


去年、リンパ腫の宣告を受けたおばがなくなった。
危篤の報を受けたのは、先週。
それから、一週間、ついに、命つきた。

母がお通夜も参加するというので、急遽、私たちも泊まり込みで行くことになった。
田舎のことゆえ、お通夜も盛大。
葬儀場であった。
200人ばかし入る会場は、満杯。
叔母の人柄が偲ばれる。
享年65歳。早すぎる。

おととし、テレビのハートなんとかというローカル番組に叔父と一緒に番組に出た。思えば、あの時の叔母の幸せに満ちた顔がこういう形で遺品になるとは考えもしなかった。

お葬式は、浄土真宗に則って行われた。
読経が行われるなか、お焼香になる。
葬儀場のかかりは、真宗のお焼香の仕方を詳しく、親戚筋に説明された。
時計と反対まわりに、ご住職の前に進み、一礼、祭壇に進み、最初に二礼、ご焼香は、頭まで、もってこないで、二度つまんでいれる。そののち、合掌礼拝。
そして、逆側に移動して、同じ時計と反対まわりで、自分の席にかえる。
そう、難しいことではないけれども、喪主である叔父から適当。
その後の親戚のおっちゃんおばちゃんたちもてんでばらばらに、いすの外側を進んでいったり。
係があわてて、誘導しにいく。
叔母の息子娘たちには、小学生、幼稚園、幼児と、ちっちゃいお子さんたちが何人もいる。
読経が進むなか、最初は、鈴の音にびくついたり、退屈がって、足をばたつかせたり、しっと、叱られてた子供たちが、ひとりふたりと、こっくりこっくり。
やがて、熟睡。
焼香の番がきて、ゆすっても、起きない。
おきなさいといっても、起きない深い眠り。
お経って、眠たくなるというけど、騒いでる元気なこどもたちがこんなになっちゃうんだから、とっても不思議。
立派なお経とは、人を眠らせてしまう・・ん・・たしかに、なくなった人が安らかに眠っていただけるならと、理にかなってる。。

うちの母も私の前を進んでゆくのに、とんでもない所にいこうとする。
人と反対側に進もうとするのを見えないように服の袖をつかみ、小声でこっちよ、と、誘導する。
ご焼香したあとも、帰りを、正しい方向に進ませるべく、後ろから小声でこっちあっちと誘導する。
みんな、モーゼのなんたらみたいに統率者がいないと、てんでちりぢりばらはら。
まあ、田舎ですから、そこは、みんな、人のふりみても気にしてない。
我の行動は、我だけしか、気にしないのですから。
いよいよ、ご焼香がすみ、弔辞。
弔辞は、40年来、一緒にお仕事を共にした同年代のおばさんだ。
早すぎる死を悼み、一緒に過ごされた年月を切々と話された。
みんなのすすり泣きとハンカチに目をあててる人がほとんど。
気丈なこの方は、途中で泣き崩れることなく、しまいまで、きちんと話された。
叔母と一緒にいただけあると、変に感心した。

親戚を代表してのご挨拶は、母の弟である。
東京からかけつけた兄弟一番の出世頭の叔父。
さすがに、上にたつものだっただけに、そつなく、状況を織り込みながらの挨拶。

いよいよ、お棺のふたをしめる。
中にたくさんのお花をいれる。
みんなで、一輪づつ埋めていく。
お花の免状も持っていたおばさんだけに、美しい華やかなお花に包まれて眠れる森の美女みたいな感じだ。
今だに、なくなったということがおかしいほどの表情。
さすがの、私も子供の時から、おりにふれ、親しんだおばとの会話などを思い出すと、涙があふれる。
いなくなったという事実にあらためて、涙がとまらなくなる。
人前で泣くのは嫌いだけど、出てくるものは、仕様がない。

霊柩車の見送りもしないといけないけど、会場の後始末も気になる。
なんてたって、今までは、おばがひとりで仕切ってたのだ。
裏方まわりの台所などの始末がわからないったらない。
もうひとり、おばといっしょに采配をふるってた弟のお嫁さんのおばもいるけど、今いち、たよりない。
息子さんたちのお嫁さんも40代くらいで都会育ちのせいか、気が利かないというか気づかないというか、体が動いてない。
こんなとき、おばさんがいたらなーと思うものの、肝心要の位置にいた場所には誰もかわりになれそうもない。
そういう不安ばかり、頭を横切るものの、私の立場上、お手伝いしかできないことが、ちとくやしい。
冷蔵庫の中身をだして、おちゃわんにはいったごはんを手にぶらさげたまま、霊柩車のとこに行くと、すでに、長男の挨拶が始まってた。
ごはんを手にぶらさげたまま、数珠をまさぐり、お見送り。

火葬場まで、また、ごはんをぶらさげたまま、乗り込む。
火葬場は、新しいのか、庭園もあり、立派なもの。
個室にゆき、また、お茶のしたくなどの下働きをつとめながら、やっぱり、おじさんちのお嫁ちゃんたちは、あんまり、動いてなくて、あれれ?と思う。
人は、悪くないし、子供たちもちっちゃいから、しようがないとは思うけれども、自分たちの立場がお客様ではなくて、当事者がわだという認識があるのかと疑う。やはり、亡くなったおばさんの仕切り方が抜群だったせいなのかと思う。
あらためて、おばさんの力加減に思いを馳せる。

50歳になって、修猷館高校の定時制を卒業してたのだそうだ。
このあたりでは、超難関といわれる学校である。
かなりがんばり屋さんで、ほかにも、三味線、踊りといとまがない。
お骨になったも、それがうかがわれる立派な頭蓋骨にみんなのため息がでる。
重ね重ね、惜しまれる。

帰りにおじの所にみんなで寄り、精進をいただいて、帰ることにする。
すると、近くの親戚が危篤状態だったのが亡くなったと知らせがあった。
まさか、呼ばれたのか!
そこもガンで、叔母のお葬式に参列してた親戚は、病室にかけつけたところだった。
その方は66歳。その母は、95歳。
なんでかねー。順番は大事だと、いつも、思ってるのだけど、先にこどもをなくすというのは、、、。
きょう、そこのお葬式があってると思うが。
叔父のひとこと。
きょうは、主役であしたは、参列者やねー。
人生は、メリーゴーランドや!

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