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2008年10月

ブーリン家の姉妹

歴史の陰に女あり。
この時代の歴史を変えるできごとに女の確執のようなことが原因であったなんて。
すごいと思う反面、あきれてしまう。

原題はThe Other Boleyn Girl.
歴史にあらわれなかったもう一人娘。この場合は、妹のメアリーのことだろう。

サブタイトル。
愛はわけられない。
とある。
が、愛の質から言えば、アンとメアリー。
求めるものがそもそも違う。
アンは、ズバリ、ヘンリーという男を愛したのではなく、王妃という椅子を愛した。
そのためには、ヘンリーの執着を利用した。王妃の椅子を狙うためには、愛など数ではない。
自分の思い通りに事が進むと信じて疑わなかった。
そう、誤算。
ところがどっこい、神様は、意地悪。
授かり物である赤ちゃんまでは、精密に予測できない。
かくして、ヘンリーの愛がそがれていくアンはめちゃくちゃあせる。
あせって、椅子にしがみついているためには、倫理もくそくらえ。
人間、おごれるものは久しからず。
謙虚を忘れたはてには、破滅が待っている。
その典型的パターンに身の毛がよだつ。

メアリーは、善悪からすれば、稀代の善人のように感じられるかもしれない。
親のいいつけとおりに、王様の相手をし、いつしか、ほんとに愛してしまうというのもありかも。
しかしながら、その前には一度お嫁にいっているのだ。
それを知りつつ、王の権限で堂々と人の妻を盗んでいくヘンリー。

弱々しくて、すべてに流されていくメアリー。
その弱々しいメアリーは、あんなに、コケにされたアンのために命の嘆願にいく。
このあたりがThe Other Boleyn Girlの所以かも。
たくましさを見せ始める生き方に賛同者は、多いだろう。

歴史は、繰り返す。
人間は愚か。
いつの時代も過ちを繰り返し、歴史は作られる。
どんなに技術が発展し、どんなに文明が発達しても、人間の真の心の動きは、ちっともかわっていないことに愕然とする。

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宮廷画家ゴヤは見た

絵は見たことがあるけど、よくは知らなかった。
ゴヤという画家は、けっこう、時代をあらわしている。
ゴヤという目を通しながら、この時代のスペインが如実に表されている。

それにしても、カトリックは、ひどい。
審問会で、異端を拷問。
日本でも散々、キリスト弾圧はあったと思うが。
幸せになるはずの宗教が理不尽な嫌疑で拷問殺されてしまう。
それを神の名のもとに平気で行うことができるということこそが真の闇のような気もする。
ここだけをとりだし始めるときりがないが、そのあたりの理不尽さをこの映画は、赤裸裸に描き出している。
何にせよ。それだけ、人間は愚かだということだ。
しかしながら、愚かでも、ばかでも、ちょんでも、命というものは、ただ、生きながらえているだけで、次の世代まで、たくましく生き抜いていく。すごい。
そのあたりのしぶとさといったら、キリスト教も真っ青ではないのか。
そして、その生を支え続けてるのは、いったいなんだろう。
口がこそばしくなるので、あまり、口にはできないが、盲目の愛なのかもしれん。

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お茶のお手前

催しの一環で、表千家のお茶のお手前があったので、参加した。
たたみのおへやを入っていくと、赤い緋毛氈が敷かれていた。
そこにお座りください。
四角い四畳半の隅に釜がおいてある。
しばらくすると、渋い白髪頭の男性が和服で登場。
一言も発せず、釜の前に座る。
着物のふくよかな女性が茶碗をささげもってきた。
受け取って、なにやら、釜からお湯をだしたりしている様子。
それより、お菓子に目が奪われる。
もちろん、菓子皿に懐紙、その上にじょうよまんじゅう。
ひとりづつ、頭をさげながら、緋毛氈の前のたたみにおいてく。
どうぞ、そのままお召し上がりください。
最初の人が頭をさげ、お先にいただきますと、いう。
そして、そのまま、おまんじゅうをちぎりながら、食べている。
次の人もお先にいただきますといって、同じしぐさをする。
そして、次の人も。
なんだか、めんどくさいなあと、思って、頭をさげただけにした。
それに、まんじゅうちぎるのもねえ、こんな小さいまんじゅうちぎっても、二口やろう。と、思うと、別に皇室でもないから、わたし流でいいっか。
そのまま、かぶりついた。
そしたら、次の人も同じにした。
で、この懐紙、どうするんだろう。
一番で食べ終わったので、何気にふたつおりにして、お皿の上においた。
すると、みなが同じことをしだした。
なにか、流儀があるかもしれないと思いつつも誰もまじめくさった顔をしてる。
ので、まじめくさった顔が流儀かもしれないと、思い直した。
しばらくたつと、となりの小学生のこどもがたちあがった。
足がしびれたらしい。
お抹茶は、苦くなくて、おいしかった。
とりあえず、三度まわして、飲んでみた。
一番で飲み終わった。
お急ぎの方は、お先にどうぞとおっしゃったので、急ぐのでたちあがった。
ふすまに近い人がたちあがりかけたので、待った。
かわいそうに、若い女性は、たちあがれなかった。
情けないそうな顔で、足に視線をうつす。
一番に外にでた。
やっぱり、しおしおと、着物でも着てないと、雰囲気でないなあ、お茶は。

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前田様

国会で、悪びれずにマルチ商法を正当化する。
それならず、法改正までして、マルチをはびこらせようとする目論み。
それをアホみたいに受け答えする経済産業省。
なんじゃらほい。
して、その心は。
マルチ商法を認めんかい!に。
お役人は、云われたことしか答られん。
の応酬に。
開いた口がふさがらん。

ネットワークビジネス。って。
内実は。もうかるもうかるといってる、お題目だけは、立派な連鎖販売方式。
その陰で、もうかるを信じて、ばかみたいに走り回る末端連鎖販売員がいることを忘れているに違いない。
こまねずみのようにセミナーではっぱかけられ、あんたは、できると暗示をかけられ、少々、落ち込みがあっても、がんばるやつは、御殿がたった、外車が買えたとあおる。
すざましい、やり方をなんで、こいつは、知らんのか。
雲の上のマルチ商法の幹部の光り輝く顔しか見てないのだろう。

もっともっと、苦しむやつを増やせ。
もっともっと、弁舌をまわせ。
マルチ商法がもうかれば、自分もうるおうと、意識下が見え隠れする。

もっとも、許せないのは、議員という地位を利用していること。
議員の自分が言ってることは、絶対的に正しい。
悪くいうのが間違いと胸をはる。

世の中、モンタスーペアレントが大流行り。
次は、モンスター議員か。

これをつけたら、これを飲んだら、がんがなおりますよは、薬事法違反。
それを改正しようとした罪は、大きい。

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輝ける闇(開高健)

だんだんわからなくなる。
ベトナム戦争って、いったいなんだったのか。
筆者は、実際にベトナム戦争の進軍をともにした。
それこそ、九死に一生を得た。
この時代に戦争があるなどと信じられないのだが。
これを読むと、ゲリラ戦にしても、なぜゆえ、いつまでも終わらないのか、わかってくる。
戦争が闇とするならば。
平和は光か?
はざまにある混沌は。
今の世の中。完璧な平和とはいいがたい。
闇と光が入り乱れて、だんだらもようの混沌としたさまは、知らなければ、いかようにも、闇に連れて行かれそうだ。
ある意味、不確かな闇とも言える。

しかし、戦争を知らない者には、どこまで言っても、戦争の身近な怖さというものがわかりづらい。
毎日、起きて、ごはんを食べの、起きてから、すでに始まっている、戦い。
それも、命をかけた。
運が悪いという奇跡的ないいわけができないすざましいほどの危険。

戦争、する側もされる側も、暮らしているただの庶民もえらい大尉もなにもかもがむなしさを感じる世界。すこぶる命がおしなべて同じ価値をもつ。

それにしても、ベトコンのすごさ。
彼ら皆、自分たちの命を最初から捨ててかかってるとしか思えない。
武士言うところの不自惜身命、捨て身の覚悟がアメリカ人と完璧に精神が違っていたと思う。

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木枯らしの町(富樫倫太郎)

時代もので、一番心にせまるのは、武士の本分だ。
どうしても、避けられない負けるとわかっている果たし合いでも、果敢にのぞむ。

北村数馬は、わけあって、残党の残りから命を狙われる。
その間、ひっそり、寺子屋で暮らすがやはり、見つけられてしまう。
当時からお世話になった山寺の住職の言葉が心に残る。
命などくれてやるがいい。相手の命だけうばって、自分だけ助かろうなんて、虫がよすぎる。
おまえの命を奪おうとするものは、まさか、自分も死にたいとは思ってはおらぬだろう。しかし、おまえは命を惜しんではいない。最初から捨ててかかっておる。その違いは途方もなく大きいだろう。
たぶん、これは、仏教言うところの不自惜身命というもの。
おのれの命の持っていきかたを見定めるということ。
読んでいると、お江戸の時代のこの肝のすわりかたを今の若者に教えてもらいたくなる。

もうひとつは、数馬とその友のかかわり合いである。
なかなか、お互いの思いが通ぜず、悲劇に終結してしまうが、どの行為をとっても、心のそこでは、友としての観念が強くあるのだと心を動かさずにはいられない。

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辛い飴(田中啓文)

読んでいるうちに、あれ?おかしいな?
ジャズがでてきて、物語が進む。
でも、あれ、これは、違うストーリー。
けど、なんだか、もやもやする。
なんでだろ?
と、読み進めていく。
と、一話終わるごとに、レコードの紹介がある。
ああ、これ。
落下する緑に続いたものだったんだ。
納得。
音楽の特にジャズの魅力たっぷり含んだ物語は、またしても、ジャズにたいする思い入れが深くなること受けあいだ。
あいまのレコードもyoutubeで検索すれば、実際の音楽を聞けるところも、魅力倍増。

圧巻は、タイトルにある辛い飴編。
往年のジャズプレーヤーがじいさんになり、その昔をよしみ、日本に呼ぶ。しかし、送られてきたテープはひどいもの。いくらなんでも、ひどすぎると愕然とするも。
そのあとの展開は、すごすぎる。
受け持ちの楽器は、本体ではない。表現するのは、その人そのものであるということなんだ。
意味を深く知りたい方は、本書でどうぞ♪

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ウォンテッド

アンジョリーナ・ジョリーは随分前の映画では、走る姿のあまりの不格好さに泣いた。
それが今回の鋭い動き。
頬はそげ、強い女を演じている。
かっこいいではないか。
いきなり、銃を片手にうんこ座りでバンバンぶっ放す姿にほれぼれ。
とにかく、映画は、すべてがかっこよくなくてはいけない。
すべてにスピード勝負。
あれ?変?と、思う隙を感じさせてはいけない。
見事に観客をはめこんで、スクリーンにとびこませなくてはいけない。

目が釘付け。
体は、硬直。
息はくことを忘れて酸欠症状態になってもかまわない。といわせる。
アクションものは、こうでなくちゃの神髄。本望。
もはや、ストーリーなど、とんでいってしまい、ただただ、落ちる、あがる、はねる、のスピード感だけに酔う気持ちよさ。

ストーリー的には、情けない男が一躍ヒーローに変身するという一見まゆつばものであったが、単純なのが功を奏してた。
切られても打たれても、風呂に入れば、傷がたちまち消えるなんて、なんでや?と思うけど、それなりに面白い。
ここまでかの危機的状況をするする駆け抜け、まい進するウエスリー。
終わるまで気の抜けない話は、アドレナリン100パーセント放出間違いない。

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だるまさんがころんだ

ひさしぶりに小学生と遊んだ。
といっても、孫ではない。
託児の子供にねえちゃんがついてきたのだ。
小学校2年生。

小学二年生の女の子と言えば。
おとなしく、お絵描きでもして遊ぶかと思いきや。
ふっと目を離したすきに、窓のさんに足をひっかけ、透明の窓ガラスにはりついてる。
おまえは、やもりか♪と、びっくりするのを尻目に窓を開けようとする。
おねがいでごぜえますだ。それだけはおやめくだされ〜、お代官様と。
つい、時代劇入りそうな哀願調になりそうな声音で。
あんた!ここ!何階と思いようとね。3階よ。落ちたらどうするとねー♪
と、やさしーく、さとした。
私のかわいいお目目をみて、納得したお姉ちゃんは。
ほら、みて、みて!と、大声で呼ぶ。
なん?なん?
部屋を縦横無尽に側転する女の子。
おお!身が軽いねー!すごいすごい!でも、目がまわらんね。
ちょっと。
それより、あつーっ。クーラーいれていい?
そこにあるから、22度くらいで。
って、勝手に調節。
ムアーー。
あついのでてきた。
そやね。きょうは、寒いから、暖房になっちゃったんだね。
もう、消すよ。
どうぞ♪

なんかやろうよ。
あれ、やろ。
いすとリゲーム。
は?
椅子を背中合わせにふたつ。
じゃ、ぽにょの歌で。
♪ポーニョ ポーニョ ポニョ さかなの子
♪青い海からやってきた
♪ポーニョ ポーニョ ポニョ ふくらんだ
♪まんまるおなかの女の子

ぎゃっ!
いすとられた。
ていうか、目がまわる。
これって・・・三半規管が弱ってるってこと。

きょう、二発目。
おねげえですから・・・お代官様、ちがうやつにしてけろ♪

じゃ、だるまさんがころんだは。

最初はおに。
だ・る・ま・さ・ん・が・こ・ろ・ん・だ!
うしろをふりかえって、動いてないか確かめる。
よし。
だ・る・ま・さ・ん・が・こ・ろ・ん・だ!
タッチされた。
トマレ!
何歩で?
三歩で。
タッチ。つかまえた。
ぎゅっと抱きしめた。
ふふ、気分は小学生♪

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