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2008年11月

日はまた昇る(ヘミングウェイ、高見浩訳、大久保康雄訳)

Hiwamata2 実は、昭和三十年発行の分と平成15年度発行の分と二冊読みました。
内容は、同じ作者なので、同じなのですが、訳者によって、かなり違います。
よく、シドニイシェルダンの訳で超訳だとか言われてますが、一度、日本語の内容に意味をならし、もう一度、筋の通りのよい日本語になおすという作業は、見えない部分であっただけに、こういうものかということに合点がいきました。
どんなに国語力があったとしても、つじつまのあわない前後には、結局意味不明のまま、頭のなかでは、はてながうずまいて、そのまま、ストーリーは進行してゆき、あげく、つぎはぎだらけのまま、終わってしまうものだなと思うのです。
まあ、もっとも、そのあたりのことをふまえて、読んでいけるのなら、文面に忠実な訳のほうがありがたいのでしょうけれども。

と、まあ、どうでもよい話はさておいて。
読み比べながらの読書も、特に会話においては、興味深いものがあります。
何より今回のこの読み比べで、一番、得したと思ったのは、ヘミングウェイのちょっとした、被虐感のようなものを感じ取れたこと、当時は、この程度でも自堕落ではあったとは思いますが、今は、これぐらい奔放な女性がいても、そう、違和感は、ありません。
翻弄される男性には気の毒ですが、自分の気持ちに正直になるというのも、奇妙に幸せなことだとも思えるのです。
それにしても、このふた通りの訳に接するに、もしかして、この訳者のおふたりの環境、言語スタイル、それから、感じ方、考えかたまでも、ヘミングウェイの小説ともからみあってのものだと思うと、この訳するという行為は、なんだか、作者と訳者の合同創作物のような気がだんだんしてまいります。

迷走しっぱなしになりがちですが、肝心のこのストーリー、まじめに論じるのはどうだかと思われるような人たちのおりなす人生の一駒でもあります。
戦争で性的不能に陥ったジェイクと、婚約者がいながらも、感情をおさえられない美貌のブレット。
このふたりもある一種の愛情で結ばれているという人間模様には、ときおり、人というのは、やりきれないものを抱えながらも、それからのがれるすべもないものだと、業のようなものを感じたりもします。
はたから、みると、くっついたり、はなれたり、はたまた、くっついたり。
どうなってるの?がいっぱいですが。
それはそれで、ああでもない、こうでもないと瞬間瞬間で思うものなのでしょう。

スペインの闘牛の迫力迫る様子もパリの街並みも、80年も前のものなのに、いきいきと、色づきだす感じがします。

写真は、美貌のブレットの実在モデル、それから、ヘミングウェイなど。Hiwamata1

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老人と宇宙(ジョン・スコルジー,訳 内田昌之)

原題は、Old Man's War。
直訳すれば、老人の戦い。
まさしく、75歳から、新たな一歩を踏み出す物語。
完璧なSFで、棺桶に首までつっこんでる年齢でも、夢のあるこの物語は、勇気りんりんになる。
ほとんど、あり得ないことだけど。
もしも、この年齢から、もう一度、新たに生き直せるとすれば、戦争くらいのアクシデントでも、難なくこなせるだろう。
今まで培った経験と知恵が100パーセント自在に動く肉体を与えられるならば、パーフェクト。
大人のユーモアと、近未来的エイリアンとの戦い♪

どこまでも、笑いと涙と彩られたこの物語は、最後まで飽きさせることのないストーリー展開で、読むものを惹きつけてやまない。

そうだ。75歳になったら、兵士になろう。
いずれは死ぬ75歳。
地球とはおさらばして、宇宙の平和のために戦おう。
65歳で願書をだしていた、ジョン・ペリーは、75歳の誕生日に兵士になった。
地球を捨てるということを条件に。
入隊すると、若返りができるとか、いろんなうわさのあるコロニー防衛軍。
愛する妻もなくなり、失意の日々の自分には、残された命が何かのためになるのであればと、潔く、決意した。

75歳から、そして、長く生きていることに、もしかしたら、楽しいことがあるかもしれないという夢のような楽しいストーリーである。あとは、静かに生きながらえるだけと考えてたジョン・ペリーは、もう一度、生き直すチャンスが与えられる。とにかく、読んでいくたびに、浮き世の事をすっかり忘れてしまうくらい没頭できるストーリー。これがSFの魅力なんだろう。男性でしたら、機能の回復に喜び、女性でしたら、身を投じての犠牲的精神にわくわく。
こういう世界が訪れると老人になるのが、楽しみになりそうだ。
もっとも、本の中だけでも、十分、面白い。
歳を重ねて、肉体の衰えは、あっても、その経験値というのは、何ものにも代え難いという立派な意味がわかる。

若い人も若くない人も、読んで損はないと100パーセント思える本だ。

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日帰り旅行

楽しみにしてた湯布院日帰り旅行。
朝9時集合して、夜までのわいわいがやがや。
女だらけのマイクロバスは、窓にひびがはいるほど。
静かになる瞬間は、一瞬も訪れず。
前や後ろの大爆笑は、どういうこっちゃ。
口だけは、しゃべるか、食べるか飲んでるかの大運動会。
まったく、女は、やめられん。
いつでもどこでも、口だけは、縦横無尽の柔軟さ。
途中のパーキングでも、いきかうおばちゃん軍団を横に、ほんと、おばちゃんは、元気やね、私たちやんか。

そうこうするうちに、現地についた。
やかましさにもめげずに黙々と運転に励んだ運転手さんの賜物だ。
早すぎたらしい。
一時間も。
そのあたりを徘徊しておいでということになった。
風が少し冷たい。
誰や、涼しいというのは、使い方間違ってるでしょが・・。
湯布院は観光の町。
自然のものも、そうだが、おもやげやさんも洗練されている。
ここで、見るとただのおみやげも、すてきに見えるのはなんでかいな。
最近は、湯布院と名前が入ってるだけのしょぼいものは、ない。
店が並ぶ界隈は、ありとあらゆる洗練されたアクセサリーやら、洒落た服などもある。
こんなとこまできて、何でショッピングに励まんでもと、思いながらもついつい、ここぞとばかりに、見てまわってしまった。
もちろん、試食も忘れてない。
名物そばまんじゅうに、佃煮に、なんたらケーキに、とりあえず、目についたものは、これも観光の一環とばかりに、口で観光することにしてる。
食い逃げじゃないよ。たぶん。
誰かが買ってると思う。

ホテルに帰ると、すっかり、お膳ができあがってる。
江戸時代のお殿様お膳がひとりづつ並ぶ。
向かい側の人との間があきすぎだろよ。と、仲居さんに訴える。
ここ、料理運ぶよ、あいてると言う。
あれ、おねーさん、どこの人。
モンゴル。
へぇー、かわいい顔して、モンゴルかって、ひとしきり、もてはやした。

しゃべって飲んで、食べて、腹もクチクなった頃、芸達者さん、登場。
我がサークルのアイドル、フラダンス踊り子さん。
なんと、衣装もちできていらっしゃる。
流し目もうっとりな踊りに目が釘付け。
うまいねー、衣装もいいよね♪と、なんか、わかったふうな批評家もものともせず、二曲、踊っていただく。
温泉センターなんかのどさまわりもできる実力で心底、うらやましかったりする。
芸は身をたすくの地をいってるかもしれん。

お待ちかねのビンゴケームは、なかなかあたらん。
読み上げても読みあげても、あがれんとこは、人生ににてる。
はずればかりのとこもか。
とはいっても、これは、絶対あがれるようにできてる。
心優しい主催者のおかげで。
私ももれなく、あたり。
すてきなネックレスゲット。
会員さんが作られたものだけど、玄人はだし。
それぞれが、その人に見合ったものがあたり、すごいねーと口々にほめたたえる。

湯布院といえば、温泉。
風呂につからなきゃ、何しにきたか、わからん。
ということで、みんなで裸のおつきあい。
同性同士なので、いやでもおうでも、ひとつ風呂。
ひぇー、前も後ろもすっぽんぽん。
見てはいけない禁断のハダカ。
やっぱ、見てしもた。
今夜は、寝られんわい。

食べて飲んで温泉につかり、疲れてると思いきや、まだまだ、燃えたりん。
金鱗湖で紅葉をめでては、あっさり終わる。
再び、買い物に励む。
同じおばさん同士の血が騒ぐ。
でもやっぱり、帰りのバスでも、しゃべりたりん。
いったい、いつ、静かになるのか、誰にも予測できなかったのである。

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中国雑技団

楽しみにしてた中国雑技団を見に行った。
最初に25歳の中国のお兄さんが現れて、挨拶をされた。
なかなか、お茶目な人で、わざと中国語でまくしたてたあとに、困った顔をして、そのあと、日本語で挨拶。
なかなか、おもしろい。
お兄さんは、司会で、次次の技を盛り上げていった。
長さ3メートルはあるむちで、新聞紙を破いたり、お客さんに造花を持たせて、撃ち落としたり。
お客さんの腰のひけた様子も、おかしい。
すんなり、花にあたらない所も演出かもと思いながらも、愛嬌たっぷりの動作で、場がなごむ。
言葉を使わなくても、表情身振り手振りで、観客をわかすことができるなんて、技よりも、すごいと思った。
もちろん、ふつうの人なんか、たちうちできない、肉体の究極のショーには、びっくりするやら。感心するやら。
でも、テレビだったら、これぐらいの技なら、絵空事として、見てしまうんじゃないかな。
が、生のショーは、迫力あるぞ!
実際の大きさの肉体があり、頬が紅潮して、汗ふきでる。
真剣そのもの。
どきどきわくわく。
最近、忘れてた、血湧き肉踊るの興奮そのものだ。

女の子の肉体の柔らかさと筋肉のしなやかさにも、驚かされた。
皿回しにしても、コップを何段も重ねたものを手や足や口でバランスをとるというのも、オーソドックス中の技ではあるが。
足の裏を上に向けたまま、おなかと背中が一巡する目にも留まらぬ早業に唖然。
あまりのアクロバット的技すぎて、気がつかないおばちゃんもいそうだった。
子供の頃、バービーちゃん人形の手足をぐるんぐるんと自由自在に曲げまくったみたいに、この人たちに骨があるんだろうかと、一瞬不思議に思った。

それにしても、もっと、すごいと思ったのは、笑顔。
女の子たち、実に優雅な笑顔を保ち続ける。
真剣な技もすべて、笑顔が場を柔らかくさせる。
お兄さんのひょうきんさと、女の子の笑顔で、このショーは成功してるかもと、物好きに二度も見た私は、感嘆した。

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