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2008年12月

2008年

なんだか、忙しかった。
喜ばしいことはひとつもなかったけど。
けど、まあまあ。
とりあえず、元気な体で、袖ふれあうものがいることが一番の幸せ。

そんな中、年末は、衝撃的事件。
そう、乳がんの再検査にひっかかったのだ。
身近な親族にも、同じ病で大手術したものがあれば、楽観視もできん。
もしかしてが常に頭をよぎる。

あの世の引っ越しは、確かに順番とおりにはいかないもの。
しかし、私の代わりになるものは、いない。
じじばばのあの世への送り出し。
とかとか。
考えるだに、頭痛がしてくる。
これらをうまい具合にころがせるように今から段取りを組むなんぞ。
神さんしかできんだろうよ。
あんまり、考えすぎて、気がつきゃ、まっしろ。
ああ、めんどくさい。
なるようにしかならん。
おらんならおらんで、どうにかなるさー。

ていうか、まだ、結果もでてない。
と、思いつつ、再検査をしにいった。
ら、その日に結果がでなかった。
しかも、検診は、首をかしげる女医さんに顔あおざめ。

その告知までの生きた心地がしなかったこと。

決局、あやしい腫瘤はあるものの、結果は白ということで、ほっと安堵。

病気になって、初めてわかる有り難み。
って言うけど、実際、崖っぷちに立つと、よくわかる。

いやほんと。
したいことがあったら、先延ばしすべきじゃないね。

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掃除に燃え

台所掃除の上の部分。
換気扇のとこのフード。
ここも年代ものの油汚れが落ちることなく、すごいことになってる。
ほんとに、お掃除嫌いなんだな。と、我ながら嘆息。
自慢できないけど。
で、この汚れ。
こないだの重曹いりを思い出し。
また、ふりかけこすりをしようと思いついた。
しかしながら、平面は、ふりかけられるけど、垂直と、上部分って、ふりかけたら、自分にかかっててしまうじゃないの!ね!
それでも、果敢に挑戦するも、あえなく、撤退。
ニュートンの万有引力は、間違いなく働いてる。
汚れのよに届かないうちに、粉が落ちるじゃーねえ。
それで、思いついた。
あれがあるじゃないのさ。
そ、米ぬか石けん。
知ってる人は知ってる、知らない人は知らない。
泣く子はそのまま。泣かない子もそのまま。
とか別に口上はいらんけど。
一年ものの油汚れは、ご存知、重曹乾いたふきん篇ね。
そして、つわもの、黒くなった油汚れは、米ぬかを少々の水でねって、布につけ、ごしごし。
ものすごくとれる。
うっそぉー♪と、昔の女学生に戻った気分。
もしかして、ここらもここらも。

三年ものくらいまでの汚れには、有効なんだけれど。
十年もの二十年ものの、堆積汚れにはちと、無理。
あー、やっぱり、ここまでいくと、すげかえるくらいしか、方法ないよな。
まあ、物でよかったよ。
人間だと大変なことになるけどね。

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武器よさらば(ヘミングウェイ 高見浩訳 )

戦争とは何か?
ひとりの人間の戦場における役割とは?
歴史の大きな流れと違って、右往左往する兵士たちというのは、戦いの空しさのなか、あるのは、死と隣り合わせの無感動状態なのである。
映画で表される大勢の戦いの場面と違い、ひとりひとりの心の動きは、朝起きてご飯食べるがごとく。
前進して、人が撃たれ、友が血を流し、自分も傷つきの繰り返し。
たったひとつの死を扱かったものでさえ、もっと、劇的な事件であるはずなのに、たくさんの死の総体である戦争は、いっそ、事件的なはずなのに、無機質なものに陥る。
麻痺したような感覚の死。
日常的な死。
これこそが戦争の本質なのだろうか。

戦争下の楽しみである酒と女。
楽しみが本気に変わるとき、戦争の理不尽さに目覚める。

急展開する戦争と劣勢になる情勢の中での一瞬の決断が次の道を決められてしまう。
別に戦争中という異常な環境でなくても、淡々と過ごす毎日が劇的に変化することは、あるものだ。
転がり続ける運命とそれを受け入れていくフレドリックとキャサリン。
運命は、いつでも、至福と過酷があざなえる縄のようにからみあっていく。

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卵ボーロ♪

口の中にとろけるあの微妙に甘いあの味。
これが、おうちで作れるなんて、すごくない!

半信半疑ながら、作ってみた。
材料は、かたくりこ、卵、さとう、ベーキングパウダー、練乳。
これだけで、あれになるとは、ほんとか?

まず、ボールにかたくりこをふるいにかけていれる。
それにさとう、ベーキングパウダー、練乳をいれる。
溶き卵をいれながら、こねる。
クッキーより柔らかめの生地。
手にべたべたひっつく。
もしかして、手でこねなくても、ゴムベラでも、十分かも。
ボールのまま、ラップにかけ、ひとまとめにして、冷蔵庫で30分寝かす。

あとは、丸めて、オーブンで焼くだけ。
超簡単。

本では、160度7分になってたけど、色が薄いよね。
もうすこし、強めでもよさそうだ。
甘さは、市販より、甘くない。
とろっと、とろける感じと独特の感じは、完全に卵ボーロだ。

Tamagoboro

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不思議な警察

近所に歩きで出かけた。
すぐそこに国道三号線が走ってる。
その手前の脇道に白バイがとまって、車を止めていた。
なんだろう?
と、不思議に思ったものの、取り締まりかも?と、あまり、気にしなかった。
三号線までたどり着くと、もっと、すごいことが。
なんと、その白バイが二台で、道路と直角に並び、上り車線を遮断。
いったい、何がしたいのか、車の多い国道で?
何やら、カメラで車道をバシャバシャ写している。
しばらくして、遮断してた白バイは脇にどいた。
また、三号線はにぎやかに、車が動き始めた。
また、しばらくすると、同じように白バイ二台で、道を遮断。
何台かには、声をかけてるみたい。
それがすむと、また、道路開放。
そのうち、白バイは、走り去っていった。

いったい、何だったのか、聞きたい気持ちは、あったけど、わからずじまい。

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チャングム

友達から、借りた韓国ドラマのDVD。
見れども見れども、終わらない。
見慣れない宮廷のたくらみの応酬で、頭にストーリーが入らない。
おまけに韓国語のつばとばすような発音にもなれずに今いちなドラマ展開かと。
チャングムはどこや?
まだ、かげも形もない。
陰謀に巻き込まれるチャングムかあちゃんは、人目を気にして、逃げる。
いつのまにか、結婚して、チャングムが生まれ、朝廷とは縁もゆかりもない生活にどっぷり。
ささやかながらも幸せにひたる家族に、追っては、容赦せず。
とうちゃんはつかまり。
かあちゃんも死んでしまう。
天涯孤独なチャングムはどうなるんだ!
と、思う間もなく、展開は、早い。
あれよあれよという間に女官になる。
数々のいじめにあいながらも、けなげに努めるチャングム。
ちんたら見ているうちに30回まで進んだ。
ようやく、展開のテンポがつかめるにつれて、韓国語にも慣れ、この響きも悪くはないかと思えてきだした。
だけど、宮廷料理人がなんで、医女。
島流しにされて、奴婢に落とされ、なんで、医女。
あれほどいじめてたきた、チェ女官の最後にちょびっと涙。は、でらんが。
敵はさり、我が天下のなるのもつかのま。
最後の最後まで、気がぬけない。
それにしても、終わりがチャングムの幸せな家族と同じような設定になってるのは、これまた、おつな展開。

個人的には、カン・ドックおじさんと、おばさんのやりとりがおかしくて、楽しくて、もっと、見たかった。
悪いやつと味方が完璧にわかれているから、わかりやすいといえばわかりやすい。
長過ぎて、辟易かと思ってたら、終わるのが惜しくなる、ペットロスならぬチャングムロスになりそうな雰囲気になりかけた。

よくも悪くも見て、損はないというドラマかな。
できたら、韓国語完全版がいいと思う。

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ハックルベリィ・フインの冒険(マーク・トウェイン、村岡花子訳)



これだけ魅力的な登場人物にあふれているとは思わなかった。
それは、善男善女なぞではない。
人として、最悪な飲んだくれの父親。
道徳観だけは、立派だが、それのみの価値観しか認めないダグラス未亡人や、ワトソン嬢。
逃げ出した黒人の奴隷ジム。
旅の途中でお世話を受けたグレンジャーフォード家。
詐欺師の自称公爵と王様。
トム・ソーヤー。
いやはや、聖人君子なんぞ、ひとりも出てこないのに、あくの強さで勝手に自滅したり、助かったり。
だからこそ、はがゆいほどの、癖がその人となりを魅力的に見せているのかと、ひとり、納得する。
そこらあたりの勧善懲悪主義のよいこの物語よりも、何百倍面白いかしれない。
それこそ、比較してなんだが、ハリポタなんぞ、お子様物語といわれてもしようがないとも思う。
たぐいまれな知恵とたぐいまれな行動力をもつということは、お金や地位がいかに虚飾の上になりたっているかを教えてくれる。
人類の英知という言葉をこれを読んで思い出した。
いっせい家畜状態にある人という動物の実態なんぞをついぞ比較したくなる本といっても過言ではない。

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田川市石炭・歴史博物館

Den4

ここにも行った。
広大な敷地にある施設は、炭坑節で知られる二本煙突、蒸気機関車まで展示されている。
あまりの広さにこれがこんなとこにあるなんて、もったいない!
と、強烈に思った。
もっともっと、喧伝して、炭坑という日本有数の歴史的物をみんなに知ってもらってもいいんじゃないだろか。
よかったら、ヤフードームのどまんなかでも・・・・♪
今は、ただの田舎にすぎないここの地も当時は、羽振りのよい町だった。
そして、炭坑王といわれる、三大金持ち、その他、名も知られず、炭坑に従事して、生きて死んでいった人々。
そのあたりの生き様が直接目と耳で味わえる。

三大財閥といわれる人たちの業績も万金に値する。だろう。たぶん。
川筋気性と言われた豪快でものおじしない決断力に富む男たち。
今の若者になかなかないその剛毅さに、息をのむ。
炭鉱という現場の過酷さ、つらさ、生活。
ありのように働く末端の人たちの暮らしは、石川啄木の世界よりも厳しい。
我が暮らし楽にならざり、よりも、いつも死と隣り合わせの毎日は、酒でもあおっていなければやってられなかっただろう。
女性も例外ではなく、上半身裸の恥もそっけもない格好で穴倉で働いていた。
かのドラマ、おしんなど、お嬢様ドラマと、笑われるかもしれん。

そんな展示をまのあたりにしながら、外に向かうと、むかしなつかしい、長屋がある。窓から中をのぞくと、ぎょっ♪
おとーちゃんが飯食ってる!
マネキンが無口な顔して座ってるぞ。
ちゃぶ台には、当時の茶碗やら、おひつやら。
まさか、この人形、ちゃぶ台かえしは、せんやろねー。
玄関はいって、祖末な土間の台所では、ほおかぶりした、かーちゃんが、炊事にいそしんでいる。
これまた、無表情に無口に外を向いている。
たった、ひと間のへやに押し入れ。
トイレも風呂もない。ここに、家族がひしめている。
ああ、昔は、えらかった。
ひとりにひとへやなんぞ、大金持ちでもなけりゃ、望めん。
重なりあうようにふとんをしき、重なりあって、休んだんだろう。

人間、生まれる場所は、選べん。
生まれる時代も、また選べん。
博物館から出た自分たちは、我が幸せな境遇を喜ぶべき、麻生丸日本号、現代に帰還した。

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伊藤伝右衛門邸

Den8

予備知識もないまま、日帰り旅行先がそれだった。
あまりの大邸宅さに、驚いた。
玄関の屏風に目を細める間もなく、左手にある洋間。
畳敷きの広い廊下。
模様で、天井を高く見える方法。
運動会ができそうなひろいひろい畳の部屋。
広大な園庭が見渡せる二階の白連さんのおへや。
どこもかしこも始終目をきょろきょろしてなくちゃいけないほど。
炊事場の板張りの小学校の給食室を彷彿とさせるセメントの流しや、蔵にあった粘土でできたおひな様にも、どこもかしこも目を見張るものばかり。
板戸に描かれた絵もそれだけで、掛け軸のようなおもむきを持っている。
屋敷全体がこれだけの調度を備えていたとは、ほんとにお金持ちなんだろうなあ。
でも、ひと歩きするごとに、しんしんと冷える足下には、いくら、広くてもこの寒さは、耐えきれんと伝右衛門さんちの人間関係及ぶにつけ、白連さんの心もさぞや冷えたのだろうと思う。

庭の広さも尋常ではない。
築山あり。川あり。太鼓橋あり。あずまやあり。
樹木も高いの低いの紅葉したの。
よそにウォーキングしにいかなくても、ここの庭だけで、一時間は、過ごせそうな勢いである。

帰宅してから、よくよく伊藤伝右衛門を調べたら、なかなかの人物のようで、粗野ではあるが、実行力も肝の太さも備えた人物だったんだなあと白連さんには悪いが、またまた、見直したりもした。

世の中、庶民は、一年が一日のようにかわり映えのしない毎日ではあるが、こと、お金持ちになると、とことん、波乱に満ちた人生をおくっているのかと、逆に感嘆した。

なあんて、高尚なことを考えながら。
ほんとか?
庭を歩き回ってた私は、片隅にあるお茶所にすいすいと引き寄せられていく。
なになに。
お菓子つきコーヒー、一杯。200円。
クッキーかマカロンか、悩みに悩み。
二個入ってるマカロンに決める。
けど、このマカロン、かみきれん。
なんか、違うよな。口の中でとろけるのがマカロンなんじゃあ・・・。
おいしいコーヒーを飲み、お外でお庭を眺めてるふりをしながら、おしゃべりする幸せな瞬間。
おばちゃん族は、ここで、至福の時間を味わう。

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