田川市石炭・歴史博物館
ここにも行った。
広大な敷地にある施設は、炭坑節で知られる二本煙突、蒸気機関車まで展示されている。
あまりの広さにこれがこんなとこにあるなんて、もったいない!
と、強烈に思った。
もっともっと、喧伝して、炭坑という日本有数の歴史的物をみんなに知ってもらってもいいんじゃないだろか。
よかったら、ヤフードームのどまんなかでも・・・・♪
今は、ただの田舎にすぎないここの地も当時は、羽振りのよい町だった。
そして、炭坑王といわれる、三大金持ち、その他、名も知られず、炭坑に従事して、生きて死んでいった人々。
そのあたりの生き様が直接目と耳で味わえる。
三大財閥といわれる人たちの業績も万金に値する。だろう。たぶん。
川筋気性と言われた豪快でものおじしない決断力に富む男たち。
今の若者になかなかないその剛毅さに、息をのむ。
炭鉱という現場の過酷さ、つらさ、生活。
ありのように働く末端の人たちの暮らしは、石川啄木の世界よりも厳しい。
我が暮らし楽にならざり、よりも、いつも死と隣り合わせの毎日は、酒でもあおっていなければやってられなかっただろう。
女性も例外ではなく、上半身裸の恥もそっけもない格好で穴倉で働いていた。
かのドラマ、おしんなど、お嬢様ドラマと、笑われるかもしれん。
そんな展示をまのあたりにしながら、外に向かうと、むかしなつかしい、長屋がある。窓から中をのぞくと、ぎょっ♪
おとーちゃんが飯食ってる!
マネキンが無口な顔して座ってるぞ。
ちゃぶ台には、当時の茶碗やら、おひつやら。
まさか、この人形、ちゃぶ台かえしは、せんやろねー。
玄関はいって、祖末な土間の台所では、ほおかぶりした、かーちゃんが、炊事にいそしんでいる。
これまた、無表情に無口に外を向いている。
たった、ひと間のへやに押し入れ。
トイレも風呂もない。ここに、家族がひしめている。
ああ、昔は、えらかった。
ひとりにひとへやなんぞ、大金持ちでもなけりゃ、望めん。
重なりあうようにふとんをしき、重なりあって、休んだんだろう。
人間、生まれる場所は、選べん。
生まれる時代も、また選べん。
博物館から出た自分たちは、我が幸せな境遇を喜ぶべき、麻生丸日本号、現代に帰還した。
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