ソウルの練習問題(関川夏央)
初版が1980年頃なので、かなり前の記述ではある。
が、お隣の国、韓国を普通の人がありのままに見た姿は、今でも十分通用するんではないだろうか。
顔かたちは、全く同じアジア人であるのに、実は、根っからの外国である韓国。
ものの考え方、気質、どれをとっても、日本人にはまるでない性格。
毛嫌いしている人もハングル大好きな人も、違いにぷっとふきだしながらも、いい得て妙な記述に思わず、拍手するのかも。
気づいてなかったけど、日本人に必須のあいづち、「ああ、そうですか」は、実はおかしいらしい。
日本人の特徴をあらわすのに、何の返事にも「ああ、そうですか」「ああ、そうですか」と、結婚の承諾みたいな大事な場面でも、真剣な場面でも多用されているというふうに韓国の映画ではあらわされてるらしい。
苦々しく思いながらも、そうかもと思う。
日本人からは、にんにく臭いと思われてる韓国人にしたら、日本人は魚くさいだとか。
考えてみれば、無知なるがゆえの誤解もたくさんあるのだなあと思う。
それに、一番重要な手段の言語ツールがない。
なんでも、ハングルの丸書いてちょん的な看板だらけには、ハングル酔いに陥るらしいのに、漢字は、全く通じず、お互いに英語は不得手ときている。
発音も似てるようで、似ていなく、つとっが苦手なハングル。
逆にMの発音の違いがわからぬ日本人のMの悲劇など。
数え上げればきりがないほどだ。
まあまあ、そういう違いがあるものの、理解しあおうと思えば、できなくもない。
九州からだと、東京行くより、近いお隣の国。
それなのに、その溝は深い。
しかし、日本人の白人崇拝と同じように、韓国もハングルができる日本人よりも、英語ができる日本人のほうが一目おかれるとは、なんだか、目くそ鼻くそ笑う的な滑稽さが感じられて、面白い。
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