« 2009年3月 | トップページ | 2009年5月 »

2009年4月

赤毛のレドメイン家/E・フィルポッツ

Akage 1922年に書かれたこの小説は、江戸川乱歩が絶賛した推理小説である。
出だしから、すでに物語の一歩が始まっている。
というのは、とても当たり前なことであるが、最後の謎解きに至って初めて合点のいくくだりでもある。

ストーリーを語りたくて、うずうず。
が、それをいっちゃあおしめえーだよ♪
我慢して、ストーリーいわずになぜこれが面白いのかを私なりに一席。

緻密に計算された犯人側の目論みで次から次に人を駒のように動かしてゆく手腕は、人という感情動物の何たるかを骨の髄からわかりしめた物語でもある。
この時代でも今現代でもこの人間の性は、ひとつも変わってない。
このあたりの憎いほどの手並みの鮮やかさは、さすがに乱歩推薦だけある。

しかし、この人間の性、わかっちゃいるが感情はままならぬ。
白いものも黒と言われれば黒に見える。
浅はかでもあるが、人間臭くもあり。
かように時代がどんなにかわろうがどんなに文明が発達しようが、どんなに立派な肩書きを持とうが、所詮、人はこれからはのがれられないものでもある。

ぶっちゃけ、男がばかなのかもしれん。
希代の悪女、元祖これにあり。
なあんて、ここまで、書くと、読んでる皆様におこられる・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

目をあわさない人

ここに越してきて20数年。
近所のその家は、ちと風変わり。
おうちの雨戸を開けない。
別に誰に迷惑をかけるわけではないので、いいのだけれども。
そして、近所付き合いもあまりお好きではないらしい。
これも、別に迷惑があるわけでもないから、別にいいのだけれども。

ご主人は、毎日、犬の散歩をされている。
これも別に当たり前だし、どおつてことない。
でも、お外に出ると、どうしたって、向こうからこちら側に歩いてくるご主人にでくわすこともある。
それは、どんな数学の法則だって、さからえないほどの確率でやってくる。
しかも、目の前にいることがわかって、反比例の法則でもって、逆側に歩けるわけではない。
なので、当然、目の前に近づいてくる。
いつもは、それとなく、空の彼方にすむという雷さんはどこかいな?とか、空想上の人物でも探すふりをして、視線をはずしていた。
けどね。ここに住んで、20数年。
そんなに何かいな。
あれかいな。
それかいな。
ふと、反抗心が働いた私。

今回、しげしげとご主人様のお顔に自動焦点のごとく目をあて、至近距離に近づき、そして、すれちがうという所作が終わるまで、あくまで、じぃぃぃぃっっっと見つめ続けた。

にもかかわらず、相手の視線は、ワンコと同じ視線。
下に何か落ちてる?
石ころにけつまずく?
電柱が気になる?

下にさがった視線は、上に戻らず。

そっか。存在が空気になるんだなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

現実入門/穂村弘

Genjitu

43歳このかた、ふつうの人が経験しているであろうことをせずに毎日を送ってきた著者が温泉センターに行ったり、合コンに参加してみる。

田中康夫の「なんとなくクリスタル」から始まる現実感のなさの延長版のような感じもしないこともない。
離人症というなにをやってもほんとのような気がしないという感じがあるが、または、それに似た感覚のようなものを彷彿とさせるような作者のありようだ。

本人は大まじめにことに取り組んでいるのだが、当たり前のことが当たり前じゃないことに思えてくるというところに、不思議な齟齬が生まれてくる。

子供たちの間でゲームが大流行りになって久しいのだが、その影響もあってか、一度死んでもリセットすれば生き返るとすんなり信じてる、いや、当たり前と思ってるこどもが存在する。
これもまた、リアル感の喪失なのではと思える。
この現実感というもの、この必死な感じの五官でもって感じる生きてる実感みたいなものが、最近、希薄になりつつあるのではないかという気もする。

世の中、淡白になり、うすくなり、ゆらゆらして、どうでもよいようなアバウト感覚ばかりになり、そのうち、生きてるのか死んでるのかわからくなって、ぼうっとした人間ばかりになるなんてことになりゃせん?
なんて、これ、読みながら、思ったものです。
一風変わったという形容詞が当てはまるなら、まだしも、これがふつうじゃないものがふつうになりかわりそうな気配にふと、気が遠くなりかけます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

町内会総会

毎年一度、年度替わりに総会をしている。
次の役員さんのバトンタッチも含めての大事な行事ごとだ。
ここの町内も年齢が上向きになり、60過ぎの方も順調に増えている。
そして、80過ぎの一人暮らしの方もでてきた。
役員は、入居順にするということなっているが、いくらなんでも、80では足下も覚束ない。
それこそ、途中でこけて入院でもされた日には、目もあてられない。
それで、役員さんは、後期高齢者からは当人の体の調子を考えて、免除という方向にしようと決まった。

当日、なぜか、次の役員候補さんがいらっしゃらない。
まだまだご壮健の私たち50代くらいの方なのにだ。
なんでも、年度途中で引っ越しをされるご予定とかで、役員ができないとおっしゃる。
理由はなんであれ、やはり、総会にでて、みなさんの承認を得なければ、困りますということで、重々その日にこられることを念押しした。
それなのに、連絡もなければ、電話してもこない。
しかも、電話をすれども、留守。
こなければ、役員をしなくてもいいと思われたのだろうか?
本人不在のまま、話をしてると、そこは蛇の道は蛇。
いろんなことがでてくる。
おばあちゃんの介護のために他県に引っ越しという理由だったはずなのに、実は、ここの町内の会員をやめたいといわれたこと。
それに、ひとつもふたつもとびこして、上の役員さんというか、ここの組織のトップの方まで話をされて、自分が役員をできないことをまくしたてられたらしい。
そんな話が総会の場で暴露され、みんなの怒りは頂点に。
できる範囲内で持ち回りの役員をするのは当たり前というのに。
懇親会でのお弁当食べには参加する。
自分ちに関わるもめ事のときは、夫婦そろって、文句三昧であったのにだ。
どういうこっちゃと、不信感がつのる。

ここの町内の住民である以上、その町内の組織にはいるのは、暗黙の了解になってるはず。
不燃物当番や、町内会費のことなどなど、お世話になったりお世話したりは、社会の一員であれば、当たり前なこと。
それを、したくない。
いいとこどりな利己的な考えって、どうゆうこと。

とりあえず、何人かで説得にいって、相手は、納得しないまま、することになったらしい。
一年というお約束だが、どうなることやら。
私たちの年代でさえ、こうなら、若い人たちになると、ますます、こういう利己的な風潮が当たり前になってくるかもしれない。
そんなの常識でしょが通らなくなる日もくるかと思うとぞっとする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ナビさまさま

親戚のうちに行くのは二度目。
ここからだと、ふつうの道を通って約一時間くらいはかかると思う。
前もナビを使って行った。
だから、ちっとも、どこを通ったかは覚えてない。
今回もなんとかなるさ♪と思って、ナビに目的地をいれた。
そして、ルートは、最短距離にした。
しめしめ、これなら、一時間を切るかもね。と。ね。

出発して、すでに、知らない道。
空港のすぐそばを通る。
左折だ左折だと、仰るナビに、ほかの話に気をとられて、ありり、曲がるの忘れてたよ。
でもだいじょうぶ。
賢いナビは、すぐにまた、次の角を左に曲がりなと教えてくれる。
しかし。
左?
空港!
曲がる道なんぞない。
柵で仕切られてる。
これ、もしかして、昔は道だったとか。
で、ナビには申し訳ないが直進。
すると、ナビは、はらかき遊ばした。
ようだ。
道がない。
ナビのなかでは、ちがうところに矢印があらわれて、ナビのルートの緑の線は、はるか5センチ向こう側。
わたしゃ、どうすりゃいいのさ。
と、ナビに訴えるも無言。
無言の行にねをあげた。
仕方ない。
ここで、Uターンしよう。
ちょうど、コンビニの駐車場がある。
そこで、逆に車を向けた。
すると、おおっ、矢印が緑の指示線の中にある。
やれやれ。
ナビも快調にナビしだした。
500m先、右ですとな。
今度は、いわれる通り、曲がった。
けどね。最短距離優先にしたナビは、離合できるんかいここは、みたいなとこを誘導する。案のじょう、対向車がしかも、保冷車があちらがわからやってくる。
なんとか、すみによけてもらって、進む。
こんな道なんだ道、通れればいいけど〜。
とは、思ったものの、こんな道、ナビがなければ二度と通りませんって。

狭い道の洗礼を受けたら、今度は、6つ角。
それを斜め右に進めという。
しかあし、そこの交差点までは、かなりの渋滞。
今まで、きた時間くらいをそこで過ごす。
目的地までたったの3キロなのに、目の前の交差点まで、10分以上かかった。
あとで、親戚からあそこは込むのだと言われた。
だって、知らんもん。
ようやく斜め右という交差点を間違いなくクリアして、目的地周辺にたどり着いた。
もう、目の前じゃん。
当然、ナビは、近くにくると、勝手に終了する。
あとは、自力でがんばれということらしい。

住宅街をゆっくり進みながら、たしか、このへんかねえ?とたずねるが、誰も首をたてにふらない。
前は、きちんと、家の前まで、行き着いた私。
でもなぜか今回は、まったくわからない。
仕方ないので、目印になりそうなケアホーム友達とかいてある看板の前にとめて、電話した。
そしたら、そこから、おたふくという看板が見えるかというので、見えると答えた。
そこから、小さい道をはいってきたら、すぐそこという。
けれども、どう、首をのばしても、大きな道しか見えない。
真ん中に植樹がある大きな道。
間違えようのないほど、大きな道。
あきらめた親戚、うちから、そこまで歩いてきた。
で、おたふくの看板まで、進んでみると、その大きな道にななめに入る小さな道があった。
そんなん、わかるわけないじゃん。
って、道は、どこかにつづいてるから、いつかたどり着けるとは思うものの、知らない道は、説明聞いても理解できない。
というか、ナビさまさま、おうちの前まで、ナビしていただけると、たいへんうれしゅうございますが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年3月 | トップページ | 2009年5月 »