太郎が恋をする頃までは(栗原美和子)
友達にすすめられた。
もう、泣けた泣けた・・・!
って、前口上をさんざん聞いていた。
表紙を見たら、猿回しの人とのウェディング姿。
猿回しって、苦労があるのかねえ・・・。
てな具合で、読み始めて行ったけど、さすがノンフィクション。
飾りも何もない文章で、ああ、そういえば、テレビでそんな人がいたっけなあ・・みたいなおぼろげながらの記憶もよみがえったりもする。
運命的な出会いで、なんとも、男くさい太郎さんに、いいやんか、人間、大きいほうがいいよねえと胸にひとりごちながら、読んでいく。
と、衝撃的発言がとびだす。
俺は、部落出身だ!
今時、そんなことで、差別をする人なんて、いるかいな。
ま、このあたりでも、そういう場所は残ってるらしいけど、別にそんなの関係ねえ・・みたいな感じで、過ごしているし。
が、舞台はかなり、奈落へ奈落へと導かれていく。
お互いの相性や、性格や、そんなことは全く関係ない。
ただただ、非差別部落だというだけでの親戚縁者の過剰反応。
縁を切ると真剣にいうのだから、その差別の深さがわかろうというもの。
それは、実際、そこに足を踏み入れてないことにはその実感がわかないものだということもこの著者のおかあさんの言葉でもわかる。
著者が相手が部落出身だと打ち明けたとき、母親は大反対する。
それを単に自分たちの身を守るための保身だと考えてた著者。
傲然と反発する。
しかし、母は、娘を守るため。
自分が娘に憎まれても、世間からの冷たい視線を浴びさせることは避けたいと、脳梗塞で倒れる前に父親に語っていたのだ。
その理不尽な差別は、今この瞬間でも、日本のどこかで、受けてる方がいらっしゃる。
何の意味もないそこだけに生まれたということだけが差別の根拠だとすると、ナンセンスこのうえない。
その意識というのは、いったい、どういう意味なのだろうかと、考えれば考えるほどにわからなくなる。
そして、最後にこのタイトルの太郎が恋をする頃までにはの裏の意味を知ると、涙がとまらなくなる。
ぜひ、差別というものの実態をこの本で体感してほしい。
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