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2010年2月

車のミラー

去年から、サイドミラーの働きが悪くて、ボタンをおして、たたむのができなくなった。
人間同様、車も年齢を重ねると、いろいろ、故障が出てくるものだ。
故障してるのは、左側だけ。
右は、ブイーンとたたまれる。
左は、手動でバキッとたためばたためんことはない。
でも、最近は、たたむことはあきらめてた。
しばらくぶりにたたんでみたら、やっぱり、左だけそのまま。
仕方なく、手動でたたんだりしてみた。
翌日、車に乗り込み、手動で、開いた。
エンジンをかけると、ミラーをたたもうと躍起になるモーター音がする。
バリバリバリ・・・・。
うるさいなあと、手動でパタンパタンと何度かやってみた。
それが、ちっともよくならない。
あけたいのか、しめたいのか、バリバリバリと容赦なく、ミラーから音がつづく。
この日は、月末でどうしても、母のところにいかなくてはいけない用事がある。
次の日にはのばせない。
仕方なく、息子に電話して、お尋ねしたけど、運転には支障がないという。

母への行き道は、3号線。三車線の真ん中をバリバリバリとうるさい音のまま走る。
さぞかし、お外はうるさかろう。
私も好きで言わせてるわけじゃないのよと、看板でも後ろにかけてみたいけど、仕方ない。
信号で止まるたびに、バリバリ・・が大きくなる。
やかましいだけで、他の人には迷惑はかけてないと心の中で、いいつつも、ちと、冷や汗がでる。

母のところに着いた。
まだ、バリバリ・・は、つづく。
それから、用事をすませるために、母をのせて、車のエンジンをかける。
「これ、何の音ね?」
話せば長いことながら・・・と、三分で話おわる。
話し終わっても、バリバリ・・は、つづく。
なんか、おかしくて、笑いながら、二人して、目的地に。
すると、急にシンとなる。車内。
そう。
バリバリがなぜか、とまった!
え、どーゆーこと?
まさか、母が・・まじない・・ひぇー、魔女・・?なわけない。
が、それから、一度もバリバリすることなく、一日が過ぎ去った。

あれは、いったいなんだったんだろう・・・♪

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不思議な町

毎回、同じところを通る。
けれども、こんな不思議なお店があったとは、知らなんだ。

273 エスパー研究所?
何を研究してる?
しかも、車がとまってるということは、ここに誰かが何かのために、訪れてる?

一見、ふつうの酒屋。
よくよくみると、バラエティにとんでいる。
昔なつかしい、角打ち風。
まだ、迎春?
気持ち悪い人形さん。
わけのわからん貼り紙。
屋根が半分ちぎれてる?
ふーむ。みればみるほど、不思議だ。
275

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変身(東野圭吾)

東野圭吾の本で読んでないものがあるなんて。
と、思いながら読み始めたけど。
やっぱり、読んでなかったと、くやしいやら、うれしいやら。
1991年発行なんだから、10年前に読んでてもおかしくないはずにのに、読んでなかったのね。
でも、楽しそうなご本なので、うれしいような気もする。

へんしーんと言うと、仮面ライダーやウルトラマンが完璧に違う何者かになるということが頭に浮かぶ。
けれども、これは、そういうものではない。
脳みそを移植するというSFではありがちなパターンかなとも思う。
クローンを扱ったものもその類いだろう。
まだ、解決済みではないと思うけれど、意識は果たして、人間のどこにあるのかという疑問へのひとつの提言かもしれない。
脳みそじゃないかなと言う人あり。
心臓だと言う人あり。
体じゃないという人あり。
けれども、人は死ぬと意識もへたくれもなくなる。
死んで、ここにいるとささやいてくれない限りは、千の風にのっての歌そのものじゃない。

一般論はさておいて。
この話であるが、なかなか興味深い。
何気ない日常から、事件に巻き込まれ、死んでおかしくない状況から生き返る。
それも、脳の移植という画期的手術のおかげで。
そのまま、楽しく暮らしました。めでたしめでたし。だと、小説にならない。
移植した脳に支配されていく。
それもとてつもない悪い方へと。
自分の行動や感情がそのものに支配されていくというのは、どうなんだろう。
ふたつの意識に分断されて、右足は右、左足は左というふうにごちゃごちゃになるということにも考えられる。自分というアイデンティディが損なわれていくというのは、複雑なものでもあり、多重人格だったか、あれでも、同じ顔かたちであるはずなのに、全く違う人に見えるというぐらいかわるらしいし、やはり、こわいことかもしれない。

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