暁英 贋説・鹿鳴館(北森鴻)
まさか、これが最後の筆であるとは、全く知らずに読んだ。
最後の最後、物語はいよいよ、ドラマチックに・・と思った矢先、未完の文字?
あれ、どうしたんだろう。
この期に及んでもさっぱり意味がわからない。
北森鴻は、けっこう、好きであれやこれやをかじっていたので、今回も期待大の代物だった。
歴史ものは、小さな忍耐と歴史の驚き、記憶との差異と、後付けの面白さが二倍三倍にもなってくる楽しさもある。
それがなんてこったい。なぞがきれいに、おさまるところにおさまるという矢先。
いったい何がおこった!
実は。
作者はもう、この世の人ではなかったのである。
そんなばかな!?
冬狐堂ならぬ騙狐堂じゃあないか・・・・。
現実の驚きは、さておいて。
長崎のグラバーさんといえば。
九州人にはグラバー邸や蝶々夫人で、なじみのあるお方。
こやつがこともあろうに、こんなに嫌なやつだったとは、ちっとも知らなかった。
人間というのは、裏を返していくと、善人が悪人になり、また、善人になり、再び悪人になりと見方によっては、全く違うものになるとは漠然とは思ったものの。
しかし、日本を植民地化としようと、悪企みをしていた人だったとは、ね。
まったく、こんなお年になって、知るなんて。
激動の日本である明治の初期、そこにうごめく人間たちの意識がそんじょそこらの歴史ものよりも、深く描き出されいる。
コンドルが主人公ではあるけれども、これはまさに日本人の開化ともいえる物語でもある。
最近、日本人というくくりで表される人物像というのは、大変、うすすぎる。
本来、どういったものだったかとふっと、思い起こしてみれば、確かに、こういう不器用だけれども、芯が一本通っていたようにも思う。
そんなこんなを行外に感じながら、明治の大人物の西郷隆盛や大久保利通、岩崎弥太郎などが随所に登場するのは、流行りの坂本龍馬とも相まって、興味深い。
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