書籍・雑誌

ガダラの豚(中島らも)

本の厚さが、4センチもあるとても長い話である。
宗教に超能力に呪術。あげくは、中年のはげででぶのおっちゃんがヒーロー!
壮大な物語の崇高な話かと思いきや、ぐっちゃぐっちゃのケセラセラ。
展開の展開のなさに思わず、これは、漫画だったのかと!
思ってしまう。
どちらにしろ、面白いのは大歓迎。
ストーリーの裏を読めば、時代の皮肉にも満ちているのも醍醐味だ。

最初の圧巻、宗教への誘いでは、外から分離して洗脳というのは、こういうことかと大納得。
言ってることは、ついついうなづいてしまうことばかり。
自分の心を解き放ち、空っぽになったところに洗脳を施すというのは、いかに簡単なことだろうか。
ことは、たぶん、宗教だけに及ばないだろう。
全ての人間関係であり得ることとも思う。
読めば読むほど面白い。

超能力は、ひところ、流行ったものだけど、スプーン曲げにして、透視にしても、もしかすると、こういう裏(種)があるのかと感心した。
今の今まで、テレビであってたユリゲラーを半信半疑ながら信用してた自分がいたせいで。
とにもかくにも、人間というものは、愚かなもんでもあるなあ。
それを救うのは、一体なんなんだろう?

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告白(湊かなえ)

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おどろいた!
映画の通りに忠実に話が進んでいく。
それどころか一言一句、まるで映画のまま。
こんなに一致してるとは思わなかった。
映画が偉い?
これほど本をなぞる映画は見たことがない。
これだったら、映画だけで、十分真意が伝えられる。
読みながら、そうだったなあと100パーセントうなづける。

映画のときも内容については、カルチャーショックだった。
感情がねじ曲がってる人間だらけの話とは。
モンスターファミリーだの、クレイマーだの、いろんな呼び名で呼ばれているこれらの人々。
もしかして、こういう人たちの比率がどんどん増殖していくと、思いやりや、人に対する気遣いという言葉は、死語になっていきそうだ。
江戸時代も明治時代も一応昭和時代もとりあえず人に迷惑をかけたり人に危害を加えたりあるいは人を傷つけることは良心が痛む。
罪悪感に苛まれるのが人間というもの。
反省もする。
それが全くない人たち。
どうなってるんだ。
人間的な面が欠如してるのか。

この本に描かれている人間たち。
どこか壊れている。
表面上は、まともに見えるのに、よくよく心の内側をのぞいてみると、変。

最近のちまたの方々の話を聞くにつけ、この物語の人物たちは、あらゆる場所に蔓延してるようにも思える。
何がどうしてこうなったのか・・。

と、書き連ねていくうち、もしかして、どこか狂ってきているのは、自分かもしれない・・・。

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名もなき毒(宮部みゆき)

何人か登場人物がいる中で、みんなにお尋ねしたい。
原田いずみのような人間はふつうか?

他人様に迷惑をかけることなく、たまには人に親切にしたり(電車でお年寄りに席をゆずるとか)家族を喜ばしたり、人が見てなくても、落とし物を交番に届けたりは、立派なことだった!
えーーっ!
現代は生きにくく、他を生かしにくい。
どういう意味だかわかりづらいかもしれませんが、常識ががらがらと崩れさることを教えてくれる恐ろしい本かも。
といっても、何もおどろおどろした妖怪や理不尽な輩がうしゃうじゃ登場するわけではない。
今流行りのクレーマーに匹敵する生態の仕組みがよくわかるということになっている。

さて、本題はコンビニで、紙パック性ウーロン茶を飲んで中毒死した事件に発していてる。
無差別殺人か、狙われたのか?
そして、異様に恐縮するコンビニの店員の正体は?
と、次次に新たな謎が絡み、なおかつ逆玉の輿に乗った素人探偵の杉村。
インパクト強いキャラも弱いキャラも重要な役目を秘めている。

冒頭あげた原田いずみをもう少し掘り下げたい。
ひと昔前に比べて、人間が少しおかしくなってきていることを年々感じている。
それは、表面には現れにくい、感情面や良識という部分が欠落している人間がいることである。人は誰でも自分を基準に考える。
まさか、本気の悪意で自分をだまそうと考える人がいるなんて及びもしないのがふつうだろう。けれども、いるのである。身近にも。
見かけで判断が困難な人が。いい人がいい人に見えるだけに、そのギャップがこわい。
というか、信じにくい。信じられない。または、信じたくない。信じない。
またの名を人格障害というくくりにまとめられたりもする。
病院に行くほどのひどさはない。日常生活もまとも。
ただ、関係性において、ひどく、疲れる手合い。疲れるくらいならばいいが、自分が死ぬような目に追い込まれる。
物語だけでは、すまなくなっている現実をこのたびもまざまざと肌に感じさせられた。

事件と世相とストーリーで十分楽しませてくれるご本でした。

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1Q84 BOOK3(村上春樹)

牛河さんが大きくクローズアップされていた。
物語の中では、ほとんど脇役に過ぎなかったのに、この章では、彼の生き様が余すところなく綴られる。
なんでかって・・・?
彼が握ってる情報は、ほかの人物たちの人生を左右していくから。
なのだが、それ故の悲しい結末もある。

それにしても、物語の展開は、あまりにも意表をついてくる。
まさか、作者が読み手の気持ちを縦横に操っているわけではないと思うが。
一番驚いたのは、ジ・エンドであったはずの青豆さん。
その青豆さんが生きていた。
それも、次におこることは、到底予想外すぎる。
ストーリーを書きまくりしてもさしつかえなければ、そうしたい。
けれども、コレハモノガタリナンダと思うとオモウという観念にとらわれながらも、実は、現実は現実を超えている。
と思えば、あっても・・いや、それは、ない!か。

いろいろ、読みながら、思うことはある。
いちいちあげればきりがない。
が、読んでいるうちがサイコーの世界。
本を閉じれば、現実。日常生活。
そのあたりの楽しさでしょうか。
とにかく、読んでみなさい。
しか、言いようがない。

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暁英 贋説・鹿鳴館(北森鴻)

まさか、これが最後の筆であるとは、全く知らずに読んだ。
最後の最後、物語はいよいよ、ドラマチックに・・と思った矢先、未完の文字?
あれ、どうしたんだろう。
この期に及んでもさっぱり意味がわからない。
北森鴻は、けっこう、好きであれやこれやをかじっていたので、今回も期待大の代物だった。
歴史ものは、小さな忍耐と歴史の驚き、記憶との差異と、後付けの面白さが二倍三倍にもなってくる楽しさもある。
それがなんてこったい。なぞがきれいに、おさまるところにおさまるという矢先。
いったい何がおこった!

実は。
作者はもう、この世の人ではなかったのである。
そんなばかな!?
冬狐堂ならぬ騙狐堂じゃあないか・・・・。

現実の驚きは、さておいて。

長崎のグラバーさんといえば。
九州人にはグラバー邸や蝶々夫人で、なじみのあるお方。
こやつがこともあろうに、こんなに嫌なやつだったとは、ちっとも知らなかった。
人間というのは、裏を返していくと、善人が悪人になり、また、善人になり、再び悪人になりと見方によっては、全く違うものになるとは漠然とは思ったものの。
しかし、日本を植民地化としようと、悪企みをしていた人だったとは、ね。
まったく、こんなお年になって、知るなんて。

激動の日本である明治の初期、そこにうごめく人間たちの意識がそんじょそこらの歴史ものよりも、深く描き出されいる。
コンドルが主人公ではあるけれども、これはまさに日本人の開化ともいえる物語でもある。

最近、日本人というくくりで表される人物像というのは、大変、うすすぎる。
本来、どういったものだったかとふっと、思い起こしてみれば、確かに、こういう不器用だけれども、芯が一本通っていたようにも思う。

そんなこんなを行外に感じながら、明治の大人物の西郷隆盛や大久保利通、岩崎弥太郎などが随所に登場するのは、流行りの坂本龍馬とも相まって、興味深い。

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巴之丞鹿の子(近藤史恵)

たぶん、捕物そのものや、江戸の時代の人情などは、小憎らしいほど、気持ちいい展開を見せてはいるのだが。
なんとなく、会話が現代なのだ。
そこらの兄ちゃん姉ちゃんの会話に置き換えても違和感がなさそう。
なので、そういう部分が気にならないのなら、人物のキャラで楽しめる。
お袖の侍をけってみたという場面は・・・。
そう、何やら、蹴りたい背中を彷彿させるし。
蹴りたい背中、江戸版みたいな感じも面白い。

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魔法使いの弟子たち(井上夢人)

ドラゴンウイルスという未知のウイルスで、人類滅亡!
というとき、奇跡的に命をとりとめた4人。
その4人の後遺症がおりなすまさかの数々。
奇想天外・荒唐無稽、何でもあり。
そういいながらも、時節をふまえながらの展開。
裏の意味が感じられるとこでは、ニヤリ。
おしまいまで、気がぬけず。
しかし、作者さんは、最後の最後まで、あまりのネタの出しつくしに困り果てたような・・。

個人的には、物語の中で楽しく面白く、わくわくできれば、いい方なので、花丸♪

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wordのストレス解消読本

Word Wordを使って思い通りにならなくていらだちを感じている方という表紙の言葉に思わずうなづく私。
段落番号が勝手に出てくるわずらわしさ。
表があちらこちら移動する!
画像が消える!
とにかく思った通りにできないいらだちさ。
この大きな謎が今解き明かされる!
は、大げさすぎるけど、wordだけに通じる難解な言葉の数々。これが今更ながら、よくわかる。
基本のキのレイアウトからして、みっつあるなんて、思いもよらない。
便利なのか不便なのかよくわからないスタイル。
Wordの不具合のような所作。
そんなこんながいたれりつくせり出てくる。
Wordを扱わなくてはいけない人。
必見ものである。
といっても、一度読んだくらいでは頭にぴったりこない。
Wordを実際触りながら、納得したら、今から、wordは、切っても切れない友達になること間違いない。
ただ、悲しかったのは、引例に使用されているダイアログボツクスの文字が小さいこと、2〜3ポイントというのは、老眼泣かせの代物である。おかげさまで、鼻眼鏡が得意科目になった。

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ハナシがうごく!(田中啓文)

笑酔亭梅寿謎解噺シリーズである。
例によって、はちゃめちゃ竜二とお師匠の梅寿、派手にあばれまわる。
人間の水準からすると、困ったさんではあるが、結局憎めないのは、人としての神髄が見極められているせいかなとも。

小話は、やっつ。
それぞれ、癖のあるものやら何やら。
中でも、竜二が独り立ちするにあたって、金に困って、落語から漫才に転身するあたりのとどのつまりも面白い。
漫才と落語。
似てるようで、違う。
熟練の味というか。なんというか。
このあたりの楽しさが落語を聞かずして味わえるのは、すごい。
ほんとは、竜二が主人公のはずなんだが、梅寿さんのキャラクターには、脱帽。
芸は人間国宝なみ。
私生活は、寅さんなみ♪

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毎日が日曜日(城山三郎)

昭和で換算すると、今年は、昭和85年。
書かれたのが、54年であるから、約30年前である。
どうりで、テレックスだとか、異様になつかしいグッズが登場しているわけか。
この頃は、花形であった商社マン。
いまでは、花形もないし、商社マンなんてのも死語かもしれない。
サラリーマン金太郎が市民権を得ているくらいで、いやほんと、サラリーマンはつらいよねの世界なのである。
今みたいに携帯電話はあるわ、インターネットはあるわだったら、こんなに世界中とびまわらなくても、すむんじゃないかと思うけれども。

格別、すごいことがおこるわけじゃないけど。
息子がバイク事故にあって、大変なことになったり、単身赴任で家族の絆があやうくなったり、やはり、こういうのは、しっかり、現代でも通用すると思う。

ちょうど、退職して毎日が日曜日になった上司と浅からぬ縁ができた主人公の沖は、赴任先から東京にかえってきての最初の仕事で煮詰まってしまった。
そんなとき、暇を持て余していた笹上が手伝ってくれることになった。
このあたりもとても面白かったし、京都の芸者さんの当たり前感覚も人の色恋も金で勘定するというのも、ちょっとしたカルチャーショックだった。

昭和を楽しみたいなら、この本は、おすすめです。
名付けるとすれば、これ、昭和小説。

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